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かおまるっちの大阪食べ歩き日記

~大阪を中心に旨いもんを求め食べ歩くおっさんのブログ~

猛チャージで工事中@熊本市中央区 熊本城 

 

熊本市中央区にあります熊本城に行ってきました。

2016年(平成28年)4月14日21時26分に震度7を観測した熊本地震。

死者は50人、負傷者は2300人、避難者は18万人以上という大きな被害を出しました。

地震から2年たって復興は進み熊本市内はかなり活気を取り戻しつつあるように感じますが、まだまだ郊外の益城町や阿蘇方面では復興途中にあり、現在も阿蘇方面に向かう国道57号線は未だに全通しておりません。

という事でかおまるっち家では、熊本に行って微力ながらもお金を使い復興のお役立てにしてもらうべく熊本に毎年訪問する事にしています。

また、被災地毎年訪問し、熊本の今をこのブログで発信することでみなさんに忘れないでいてもらえると思いますので、食べ歩きブログですが被災地の事をご紹介をさせていただきます。

私はいろんな建物が好きな、建物好きであり、そのジャンルは幅広く、最新の超高層ビルからノスタルジックな煉瓦作りのビル、お城などありとあらゆるカッコいい建物が好きなんです。

お城の中では黒壁のお城が好きな私は黒壁城の代表のような存在である熊本城が一番好きなお城であります。

そんな熊本城が地震で大変なことになったので熊本に来た時は必ず熊本城に来ています。

今回は震災後3回目の熊本城訪問となります。

この記事の最後に前回と前々回に熊本城に訪問した時のリンクを貼っていますので徐々に復興してゆく熊本城を比較してみて下さい。

熊本城の完全復興にはかなりの時間を要します。

熊本市は完全復興には20年の時間を要すると発表しているのでかなりです。

しかし、天守閣と小天守は2020年頃の公開を目指しているので、今復興の全精力は天守閣に注がれています。

なので熊本の中心地、通町筋電停から見た熊本城にはタワークレーンが見られます。
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現在復興工事中の熊本城の内部には入る事が出来ないので、復興見学ルートに沿って外周を歩いて行きます。

「馬具櫓」
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左端の石垣だけで櫓を支えている状況は今も変わっておらずです。

それどころか、白壁の亀裂が大きくなってきていますね・・・・。

心配です。
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天守閣へと続くアプローチ、西大手櫓門と元太鼓櫓も二年前のままです。
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二の丸広場から望んだ景色

左から宇土櫓、小天守、大天守となっています。
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宇土櫓も被害を受けましたが、天守閣ほどのダメージは受けませんでした。

1607年(慶長12年)に造られた木造の宇土櫓が堂々と建っていて、1960年(昭和35年)に再建された鉄筋コンクリートの天守閣が大ダメージを受けたというのが、昔の木造建築の技術の高さを表していると思います。
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戌亥櫓横の壁は二年前に崩壊したままです。

雑草が鬱蒼と生えているのが時の流れを感じます。
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戌亥櫓
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相変わらず奇跡の隅石一本立ちになっています。

前の記事でも書きましたが、この一本立ち状態はなんとかならないんでしょうかねぇ・・・。

崩れそうで怖いです。
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加藤神社から見た宇土櫓

櫓とは思えない堂々たる姿は天守閣と見間違うほどです。
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しかしそんな宇土櫓もズームしてみるとダメージは隠せない状態になっていますね。。。。

う~ん・・痛々しい・・。
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二の丸広場から見た宇土櫓越しの大天守の風景はかなり工事が進んでいる様に見えますが、、、
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加藤神社から改めて大天守と小天守を見るとこんなに骨組みが露になっています。
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天守閣部分の石垣が剥がされて、、、
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鉄筋コンクリートの補強が行われています。
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型枠の下側はおそらく補強後で上側は昭和35年当時の補強前の鉄筋コンクリートだと思われます。

補強前はコンクリートの厚みが薄いのがわかります。
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骨組みや足場などの鉄が多くみられてメカメカした感じでお城っぽくない痛々しい状態になっていますが、予定ででは2019年10月5日までに外観の修復を完了し、10月14日までの間は立ち入り禁止となっている天守閣前広場から大天守を見学できるようです。

これは、この時期に行われるラグビーワールドカップの開催に合わせて公開するということになっています。

ワールドカップ後は日・祝限定で公開し、2020年の春には土曜や平日も公開される予定です。

これは楽しみですねぇ。
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熊本城全体の復興にはまだまだ時間が掛かりますが、がんばろう!熊本
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また来年、戻ってきますね。


過去の熊本城
その1 必ず再訪します
その2 まずは天守閣から


熊本城HP

category: 熊本県熊本市

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素敵な仕掛けですよね@長崎県長崎市 長崎市散策 

 

九州に旅行に来ています。

二日目のこの日は長崎市観光です。

以前の記事でもご紹介しましたが、午前中は軍艦島を観光して大感動して、午後からは市内をプチ観光です。

というのも、中華街でお昼ご飯を食べ終わったのが午後二時前でして、その後午後六時頃には長崎県雲仙市国見町の有明フェリー乗り場まで行ってその日のうちに熊本入りしなけらばならないのです。

雲仙市国見町までは高速道路が無いのでおよそ1時間40分ほどかかりそうなので、あと2時間くらいしか観光する時間がないのです。

なので、本当は大浦天主堂とかも行きたかったのですが、諦めて、長崎新地中華街散策と眼鏡橋観光だけにする事にしました。

まずは新地中華街から。

日本には横浜、神戸、長崎の三か所に中華街があって長崎の中華街は一番小さい規模となっています。
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なので道路も道幅が狭くてひしめき合って歩くって感じです。

頭上を覆う提灯がアゲアゲな感じでいいですね。

長崎新地中華街は200m四方ほどの規模なのでそんなに観光に時間は要しませんが、お土産店のビードロが美しかったので魅入っちゃいました。
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中華街を後にし、500mほど歩いて眼鏡橋へ

1634年(寛永11年)に架けられた橋で、幾度かの洪水で損壊の被害は受けるが、流出は免れている強い石橋です。

半円形のアーチが水面に反射して眼鏡に見えることからこの名が付いたのですが、南から北側を見た眼鏡橋はなんか波が立っているので眼鏡の形に見えませんね・・・・。
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では細い土手を通って反対側に回って、北から南側を見てみると・・・。
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おおぉーーー。

眼鏡に見えますねぇ。

うーーん♪カッコいいですぅ。
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欄干には「めがね橋」って書いてあるのかな?

達筆すぎてよく分かりませんが、なんしかカッコいいっす。
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たくさんの観光客が眼鏡橋を見に来ていましたが、一瞬人が全くいなくなった瞬間があったのでサッと駆けつけてパチリ。

いい写真が撮れました。
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眼鏡橋が架かっている中島川の堤防の写真です。

堤防なんてわざわざなんで紹介するの?ってお思いでしょう。

実はこの堤防、若い女子がここに来てみんなこぞって写真を撮りまくるんです・・・。

なんで写真を撮るかというと・・・・・。
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堤防の中央部にハートストーンが埋め込まれているからです。

めっちゃ形のいいハートですよね。

これは偶然にハートに形なったわけではなく、2006年に堤防の改修が行われた際に職人さんの遊び心か発注されたのかは分かりませんが埋め込まれたとの事です。

この、ハートストーン、ハートの石だけではなく、右上には細長い縦の石が埋め込まれているので・・・。

ハートの左側に人が立つと、「I、♡YOU(立った人)」となるという事で大人気との事です。
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埋め込まれているハートストーンは高さ160cmくらいとなっているので人が立って丁度イイ感じの高さになる・・・っていう素敵な仕掛けとなっております。

ハートストーンは中島川沿いに20個ほどあるとの事ですが、あとは全く分かりませんでした・・・。
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人とハートストーンが並んだ写真を綺麗に撮るには対岸の土手からズームして撮るのが一番綺麗に撮れると思います。

長崎って素敵な街でしたねぇ。

今度じっくりと観光してみたいと思いました。


長崎市公式観光サイト

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船・ふね・フネ@長崎県長崎市 軍艦島上陸クルーズの帰り 2018夏旅行その④ 

 

長崎県長崎市の軍艦島に行ってきました。

9月の下旬、遅めの夏休みをとって旅行に出ています。

今回の旅行では佐賀県唐津市呼子町でおいしいイカを食べ、長崎で軍艦島に上陸して長崎ちゃんぽんを食べ、熊本でくまモンに会って熊本城の復興を見る、というコースで旅行します。

今回の旅行は各地の見所がとても多かった旅行になったので、ご紹介したい内容が多く、しばらくは九州ネタが続きますがよろしくお付き合いください。

ではさっそく本題に入ります。

前日の晩、大阪から高速道路をぶっ飛ばして翌日の早朝に呼子入りし、呼子の朝市や剣先イカの造りを堪能しました。

二日目の今日はこの旅一番楽しみにしていた「軍艦島上陸クルーズ」です。

軍艦島の上陸した様子は前々日、前日の記事でご紹介しましたのでそちらをご覧ください。

今回の記事ではクルーズ船で軍艦島を周遊した帰りの長崎港までへの模様をご紹介します。

長崎と言うと思い浮かぶのが、中華街や天主堂、稲佐山や軍艦島などの観光に関する事がすぐに思い浮かびますが、長崎は地形からも想像できると思いますが、造船で栄えてきた造船の街でもあります。

軍艦島から長崎港へクルーズ船が戻る際にいろんな船を見る事ができたので記事にしてみました。

私は鉄道好きですが船好きではないので、船の知識はド素人ですが、帰ってから家でそれなりに調べたのをご紹介します。

長崎の外海から長崎港がある内海に差し掛かろうとしたあたりの長崎市香焼町に三菱重工長崎造船所香焼工場があります。

工場には3つの大きな鳥居のような門型の構造物があります。
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近付いた写真がこれです。

この大きな鳥居のような構造物「ゴライアスクレーン」というクレーンで最大1,200トンもの重量を持ち上げる事が出来るモンスタークレーンなんです。

写真では大きさが良く分からないとと思いますが、幅が185m、高さが95.5mもある超巨大なクレーンなんです。

なので近くから見たらめっちゃデカくてすごい迫力があります。

この日はゴライアスクレーンの下に船はいませんでしたが、クレーンの下は深さ15メートル、幅100メートル、長さ1キロにおよぶ「100万トンドック」と呼ばれる大きなドックとなっているので超巨大な船を此処で造船する事ができます。
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LNG船やLPG船、いわゆる大型タンカーを得意としているそうですね。

100万トンドックには大型タンカーはありませんが、北側のひと回り小さいドックに大型タンカーが居てますね。

大型タンカーと比べたらいかにゴライアスクレーンがデカイかがよく分かりますよね。

それにしてもデカイわぁ。

あ、そういえば、船員さんがゴライアスクレーンの三菱マークの白い部分はテニスコートとほぼ同じ大きさだと言ってました。
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女神大橋

長崎市南部と西部を最短距離で結ぶことで市内中心部の交通混雑を緩和と両岸に分散している港湾施設同士をつなぐことを目的に平成17年に開通しました。

橋の長さは1,289m 主橋梁である斜張橋部分は880mで斜張橋としては国内6番目の長さとなります。
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6番目となると長さとしてはさほどではないのですが、桁下の高さがさすが造船の街長崎だなあという感じで、大型船舶が航行できるように桁下が65mもあります。

下から見ても橋が高い高い!
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大規模な造船所だけではなく小さな造船所も点在しています。

このあたりはワンピースのウォーターセブンのような感じがする!と思ったのは私だけ?
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こちらは三菱重工長崎造船所本工場です。

かつては戦艦「武蔵」を建造した船台と30万トンドックがある歴史ある造船所で「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として、三菱重工長崎造船所本工場内の「第三船渠」、「ジャイアント・カンチレバークレーン」、「旧木型場」、「占勝閣」が世界遺産に登録されています。

本工場でも大型のタンカーが建造されていますね。
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本工場では自衛隊の護衛艦やイージス艦などの建造・修理改造もしているので、自衛隊の駐屯地でないのにグレーの船がいっぱい停泊しています。
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タンカーとイージス艦という珍しい並びはなかなか見る事が出来ない光景ではないかと思います。
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自衛艦は1隻かと思ったら3隻もありましたね。

カッコいいっすね~。
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スーパースター・ヴァーゴ

75,338トンの豪華クルーズ船です。

1999年に就航、13階建で935室、1,870名という大型マンションが海に浮かんでいるとっても大きな船です。

この日は大連から長崎港にやって来たようです。

ま、庶民の私にはこのような豪華客船に乗る事はないから眺めるだけ~(T_T)
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最後は海上保安庁の巡視船「でじま」全長 91.4m、総トン数 1200トン

所属は長崎海上保安部となっています。

船名はでじまですが「PL05」という船番もついています。

船番のアルファベットには、
 ・PL  Patrol vessel Large(大型巡視船)
 ・PM  Patrol vessel Medium(中型巡視船)
 ・PS  Patrol vessel Small(小型巡視船)
 ・PC  Patrol Craft(大型巡視艇)
 ・CL  Claft Large(小型巡視艇)
という分け方がされているのででじまは大型巡視船となります。
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軍艦島fから長崎港に帰ってくるだけでも大小さまざまな種類の興味ある船がたくさん見る事が出来ました。

船にはさほど興味がない私でもいろんな船を見れてとても楽しかったです。

さすが造船の街長崎だけありましたね。


長崎市公式観光サイト

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ここほど来て良かったと思えた所はない@長崎県長崎市 軍艦島上陸クルーズ 2018夏旅行その③ 

 

長崎県長崎市の軍艦島に行ってきました。

9月の下旬、遅めの夏休みをとって旅行に出ています。

今回の旅行では佐賀県唐津市呼子町でおいしいイカを食べ、長崎で軍艦島に上陸して長崎ちゃんぽんを食べ、熊本でくまモンに会って熊本城の復興を見る、というコースで旅行します。

今回の旅行は各地の見所がとても多かった旅行になったので、ご紹介したい内容が多く、しばらくは九州ネタが続きますがよろしくお付き合いください。

ではさっそく本題に入ります。

前日の晩、大阪から高速道路をぶっ飛ばして翌日の早朝に呼子入りし、呼子の朝市や剣先イカの造りを堪能しました。

二日目の今日はこの旅一番楽しみにしていた「軍艦島上陸クルーズ」です。

軍艦島の正式名称は端島と言い、は1810年頃に石炭が発見されました。

当初は細々と採取していたのですが、端島の石炭は良質だという事で1890(明治23)年に三菱が島を買い取り本格的な炭鉱として操業されました。

当時の主力なエネルギーは石油ではなく石炭が中心でしたので需要は高くどんどん規模が大きくなるにつれて人口も増え狭い島に多くの人が生活するために鉄筋コンクリートの住宅がどんどん造られました。

最盛期の1960(昭和35年)年前後には0.063 km²の中に約5300人もの人が住んでいました。

その人口密度は当時の東京の約9倍、世界一の人口密度だったと言われています。

端島の石炭はとても良質だった事もあり端島で働く炭鉱夫の給料は高く、島民の生活水準は高かったそうで、テレビが高級品であってまだまだ普及していない年代でも端島の住民はこぞってテレビを購入したと言われています。

そんな金持ちの端島でも土地の狭さだけはどうすることもできなくて、ごく一部の幹部職員の住宅以外の大部分の住宅にはお風呂は設置されず大衆浴場を利用したり、子供の遊び場がないため、シーズンオフの時期の水が抜かれたプールで野球をするなどスペースに関する事についてはかなり制限が強いられた生活をしていたそうです。

隆盛を極めた端島も時代の流れには勝てず、エネルギーの中心は石炭から石油へとシフトチェンジされつつある1974(昭和49)年に閉山され無人島となりました。

閉山後も端島はずっと三菱が所有していましたが、閉山から27年経った2001(平成13)に高島町に譲渡されました。

その後市町村合併(2005年)が行われたことにより端島は長崎市が管理することとなり、その後長崎市が整備して2009(平成21)年に上陸できるようになりました。

上陸ツアーは解禁直後からも人気でしたが、2015(平成27)年に世界遺産登録となった後は人気が爆発しているそうです。

なので今回の軍艦島上陸クルーズの申し込みは実は4カ月前に申し込みをしました。

そんな大人気の軍艦島上陸クルーズですが、端島は桟橋がしっかりしておらず、波が高い時や荒天時は上陸が出来ない事になっているので悪天候になって上陸できないのだけは勘弁してください!!っと祈るような気持ちで当日を迎えましたが、晴天とまではいきませんが、晴れ間も見えるいい天気になったので無事軍艦島に上陸する事が出来ました。

前日の記事では軍艦島に上陸模様をご紹介しました。

その②の今回はクルーズ船で軍艦島を周遊した模様をご紹介します。

ドルフィン桟橋からクルーズ船に乗り込み島から離れます。
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船は南の方から東に周り、北側まで行って戻るコースを周遊します。

南側は先ほどまで私たちが居てた第三見学広場辺りになります。
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ここから東に向くと・・・、
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グッと建物が増えて軍艦っぽさが増します。

護岸沿いの建物を右からご紹介します。

先程第三見学広場で感動した30号棟アパートに始まり、31号棟アパート、48号棟アパート、51号棟アパート、59号棟アパート、60号棟アパート、61号棟アパートと続いています。
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31号棟アパートと48号棟アパートの間には昭和館という映画館がありましたが原型を留めていませんね。
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このエリアが一番住宅が密集しているところで、48号棟アパートと51号棟アパートの裏側には2・3・5・6・8・12・13・14・16・17・18・19・20・21号棟アパートが犇いて建っています。
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その中に三角屋根の祠を発見!

これは端島神社の祠です。

かつては祠の前に拝殿も鎮座していましたが、崩壊して祠のにとなっています。
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48号棟アパートと14号棟アパートにズームしてみます。

多くのガラスは抜けていて窓枠のみが残っていますね。

よく見るとバルコニーの手すりは木製なんですね。

鉄製だとすぐ錆びるからなんでしょうね。
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手前に右から59・60・61・66号棟アパートとなり、奥が300世帯ちょっとが住んでいた軍艦島で一番大規模な65号棟アパートとなります。
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これだけアパートとアパートが密集していたら日当たりが悪くて部屋はとても暗かったでしょうね。
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少し離れて見る軍艦島もとても迫力があったので夢中でパシャパシャ写真を撮りまくった私ですが、そんなことをしているのは私だけではなく結構皆さんパシャパシャシャッターを押してました、

これだけの迫力あるものが目の前にあったらそりゃあみんな写真を撮りまくりますよねぇ。
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楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。

周遊を終えて船は長崎港へと帰港する事となります。
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あぁ・・・名残惜しい。

でもここほど来て良かったと思えた所はない!!

と思えるホントに本当に心震える素晴らしい遺構でした。

軍艦島は日々崩壊が進んでいます。

次に行く時は今回と違う軍艦島の姿になっているんでしょうね。

これはまた軍艦島に戻ってこなければ!!

絶対にまた訪問します。
20181023 (868)


最後に一言!

この写真をご覧ください。

これは軍艦島の護岸から釣りを楽しむ釣り人です。

これを見た時に「え?軍艦島って長崎市の軍艦島上陸券を持った人が上陸を許されて、見学通路のみしか立ち入る事が出来ないんじゃないの?」

「なんなん?この人たちは???」

いや、もう、はてなだらけですよ!なので帰りの船で船員さんになんで護岸に釣り人が居てるんですか?と聞いてみたら、護岸は長崎市の持ち物ではなく、海の扱いになるそうなんですよ・・・。

なので護岸から島内に降りて来たら長崎市の管轄になるので条例違反で取り締まれるのですが護岸で釣りをしている分には長崎市は取り締まれないとの事なんです。。。

イヤ、護岸が海の扱いになるからってなんで渡船を許してるの?

軍艦島への釣り客の渡船は禁止すればいいじゃないか!

なによりこの素晴らしい遺構を見にはるばる遠くから来る国内外の観光客が釣り人を見てがっかりする事を釣り人はなんとも思ってないのが不思議でならないですわ!!

同じ日本人としてめちゃくちゃ恥ずかしいです。

釣りというレジャーを咎めるつもりはありませんが、ここに釣り客を渡す渡船や釣り客はどう考えているんだろうと思います。

世界遺産は後世に引き継ぐためにみんなで守っていくための登録なんですよ。

釣りをするならここ以外でやったらいいじゃないですか?なぜ軍艦島で釣りをするんですか?

こっちとらクルーズ船に乗る前に決められたコースを外れたら船に戻ってもらうという誓約書にサインして来てるんだよ!!

渡船屋さんや釣り人側からしたら、軍艦島での釣りは、軍艦島が世界遺産に登録される何十年も前からしてるからこっちの方が先や!と言いたいところだと思いますが、世界遺産に登録されたんですから、どうかお願いですから軍艦島での釣りは止めていただけませんかお願いします。

っていうか国がちゃんと取り締まりをするべきだし、軍艦島への渡船を早期に禁止にすべきだと思います。

それが世界遺産を引き継ぐって事じゃないんでしょうか。
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軍艦島上陸クルーズ

category: 長崎県

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ここほど来て良かったと思った所はない@長崎県長崎市 軍艦島上陸クルーズ 2018夏旅行その② 

 

長崎県長崎市の軍艦島に行ってきました。

9月の下旬、遅めの夏休みをとって旅行に出ています。

今回の旅行では佐賀県唐津市呼子町でおいしいイカを食べ、長崎で軍艦島に上陸して長崎ちゃんぽんを食べ、熊本でくまモンに会って熊本城の復興を見る、というコースで旅行します。

今回の旅行は各地の見所がとても多かった旅行になったので、ご紹介したい内容が多く、しばらくは九州ネタが続きますがよろしくお付き合いください。

ではさっそく本題に入ります。

前日の晩、大阪から高速道路をぶっ飛ばして翌日の早朝に呼子入りし、呼子の朝市や剣先イカの造りを堪能しました。

二日目の今日はこの旅一番楽しみにしていた「軍艦島上陸クルーズ」です。

軍艦島の正式名称は端島と言い、は1810年頃に石炭が発見されました。

当初は細々と採取していたのですが、端島の石炭は良質だという事で1890(明治23)年に三菱が島を買い取り本格的な炭鉱として操業されました。

当時の主力なエネルギーは石油ではなく石炭が中心でしたので需要は高くどんどん規模が大きくなるにつれて人口も増え狭い島に多くの人が生活するために鉄筋コンクリートの住宅がどんどん造られました。

最盛期の1960(昭和35年)年前後には0.063 km²の中に約5300人もの人が住んでいました。

その人口密度は当時の東京の約9倍、世界一の人口密度だったと言われています。

端島の石炭はとても良質だった事もあり端島で働く炭鉱夫の給料は高く、島民の生活水準は高かったそうで、テレビが高級品であってまだまだ普及していない年代でも端島の住民はこぞってテレビを購入したと言われています。

そんな金持ちの端島でも土地の狭さだけはどうすることもできなくて、ごく一部の幹部職員の住宅以外の大部分の住宅にはお風呂は設置されず大衆浴場を利用したり、子供の遊び場がないため、シーズンオフの時期の水が抜かれたプールで野球をするなどスペースに関する事についてはかなり制限が強いられた生活をしていたそうです。

隆盛を極めた端島も時代の流れには勝てず、エネルギーの中心は石炭から石油へとシフトチェンジされつつある1974(昭和49)年に閉山され無人島となりました。

閉山後も端島はずっと三菱が所有していましたが、閉山から27年経った2001(平成13)に高島町に譲渡されました。

その後市町村合併(2005年)が行われたことにより端島は長崎市が管理することとなり、その後長崎市が整備して2009(平成21)年に上陸できるようになりました。

上陸ツアーは解禁直後からも人気でしたが、2015(平成27)年に世界遺産登録となった後は人気が爆発しているそうです。

なので今回の軍艦島上陸クルーズの申し込みは実は4カ月前に申し込みをしました。

そんな大人気の軍艦島上陸クルーズですが、端島は桟橋がしっかりしておらず、波が高い時や荒天時は上陸が出来ない事になっているので悪天候になって上陸できないのだけは勘弁してください!!っと祈るような気持ちで当日を迎えましたが、晴天とまではいきませんが、晴れ間も見えるいい天気になったのでホッとした気分で長崎港ターミナルへ行き、予約受付をしてクルーズ船へと向かいます。

目の前には私と同じような気持ちで当日を迎えた軍艦島ファンが列をなしています。
20181023 (750)


私たちも列の最後尾に並び、列が動くのを待っている間にチケットをパチリ。

軍艦島の上陸には船会社の乗船券以外に長崎市の軍艦島上陸券が必要となります。

この辺りからワクワク、ドキドキしてきました。
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船内に乗り込み船会社の船員さんから説明を受けます。

船員さんの説明によると、船は軍艦島に向かっていますが、軍艦島に着いても波が高かったら船をつける事ができないので上陸する事は出来ず、周遊する事になりますとビビらすアナウンスをしてきますが、「今日は波も低い予報やし、天気もどんどん回復傾向やから大丈夫に決まってるやん!」「なにビビらしとんねん」とか思いながらも上陸できひんかったらどうしよう・・・と思っちゃう私です。

そんな気持ちを知る由もなく船はガンガン波しぶきを上げて軍艦島へと向かいます。
20181023 (761)


軍艦島上陸クルーズは今回乗船したやまさ海運以外に複数の海運会社があるので船を間違えないのと、島内での説明を受けるためのグループ分けをするために色分けされます。

私は黄色グループとなります。
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船員さんのビビらしにちょっとドキドキしましたが無事船はドルフィン桟橋に横付け出来上陸となりました~。

ずっと来たかった軍艦島に今、上陸です
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上陸してすぐにトンネルがあるのでトンネルをくぐりぬけるといきなり右手に遺構が目の前に入ってきます。

ブロアー機室の遺構です。

ブロアー機室は質の悪い石炭や土を取り除く施設でした。

この朽ち果てぶりを見た瞬間全身に鳥肌が立ちました。

目の前に軍艦島の遺構があるという感動で震えちゃいます((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
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高台にある建物が1959(昭和34)年に完成した幹部用の職員住宅です。

この幹部住宅のみ風呂が付いていたそうです。

カッコいいなぁ(*´ω`)
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しかし時の流れは残酷で、頑丈なRC造りの住宅も崩壊が進んでいます。
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上陸した島の南東側は石炭採掘関連施設となります。

写真中央の建ち並ぶ柱は石炭を蓄えておく貯炭場へと石炭を運ぶベルトコンベヤーの支柱です。

閉山後のしばらくはベルトコンベヤーの施設の多くが残っていたんでしょうが今は支柱が残っているだけです。
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貯炭場の奥にある大きな建物は端島小中学校です。

1958(昭和33年)に建設された7階建ての建物で1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校、6階が講堂、図書室、音楽室などとなっています。
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小中学校は先ほどの幹部住宅以上に崩壊が進んでいて、屋上が落ちていますね。
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30号棟アパート

軍艦島の見学は決められた見学通路を外れ事は出来ません。

通路には第一見学広場、第二見学広場、第三見学広場が設けてあり、それぞれの広場で施設に関する説明をしてくれます。

今回私が一番見たくてしょうがない建物がこの30号棟アパートです。

なぜこの建物が見たいかというと、建てられたのが1916(大正5)年というとても古い時代に建てられた日本最古のRC造りの高層アパートと言われているからです。

なので、軍艦島に行くにあたり、事前にこの30号棟アパートの写真を見ていたので上陸して30号棟アパートを見つけた時は「おおおお!!」と声が出てしまいました。

目的の30号棟アパートは第三見学広場で大きく見る事ができるのでもう少しの我慢です。
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第一見学広場から第二見学広場の間の選炭機のあたりには錆錆の機械だったと思われる金属片がゴロゴロしていました。

なんか萌えます。

これを見て萌える私はちょっと変態ですよね・・・。
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炭鉱関連施設が集中している第一見学広場、第二見学広場間は総合事務所などのレンガ造りの建物が多かったそうですので、この辺にはレンガの塊がゴロゴロころがっていました。
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総合事務所

重厚なレンガ造りも長年の風雨で崩壊が進んでいます。

総合事務所にはお風呂が3つあって作業を終えた炭鉱夫は全身真っ黒に汚れているため作業着のまま第一の浴槽に浸かり、汚れを作業着ごと落とします。

次の第二の浴槽でようやく作業着を脱ぎ体の汚れを落とし、最後の第三の浴槽で綺麗に仕上げるっといたお風呂になっていたそうです。

離島であるため水は大切ということですので第一・第二の浴槽は海水で第三の浴槽のみが真水だったそうです。

炭鉱の仕事の大変さがわかりますね。
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炭鉱関連施設があった島の南東側にはかつて工場や会議室、倉庫や機械室などの施設が犇いていたのですが、そのほとんどは崩壊して現在は総合事務所の一部と第二堅坑への昇降階段の一部が残っているくらいなので、これ以上の崩壊を防ぐため総合事務所のレンガ造りに補強がされていました。
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貯水槽

離島で一番大切なことが水です。

約5000人もの人々が暮らしていた島で、水を大量に確保するのは難しかったようで、昔は海水を蒸留して飲料水を作っていたそうです。

しかしそれだけでは約5000人供給が間に合わなかったようで、のちに水船と呼ばれた給水船で運ばれるようになり、こちらの貯水槽に蓄えられるようになりました。

しかしそれでも水が不足してしまうという事で、1957(昭和32)年に対岸の三和町から長さ6500mの海底送水管を引き、安定供給に至ったそうです。
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軍艦島の護岸は石炭と赤土を練り混ぜた天川と呼ばれる接着性のある練り物を石と石の間に盛って積む、石積み工法で作られています。

この天川を使った工法は海水に強く、明治時代に造られた護岸が今でも島を守ってくれているそうで、ガイドの元島民の方が軍艦島が世界遺産に登録されたのはこの護岸が今でも生きているからというのも大きな影響を及ぼしていると言ってました。

先人の知恵ってホントにスゴイですよねぇ・・・。

震えます。
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第三見学広場に近づいてきたら右手に仕上工場が見えてきました。

仕上工場の後ろには一番見たかった30号棟アパートがあるので事前にWEBで何度も見たのですぐに分かります。

仕上工場の後ろに30号棟アパート、その後ろに貯水槽と1枚の写真に3つの遺構が収まっています。
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そしてついに第三見学広場に到着!!

30号棟アパートが目の前に広がっています!!
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もっと近くに寄ってみます。

うわぁぁぁぁぁぁぁスゴイ、凄すぎる・・・・・・。

実際の30号棟アパートを目の当たりしたら想像以上の迫力があって立ち尽くしてしまいます。

ガイドさんがいろいろフリップ写真を使って説明をしてくれているようなのですが、30号棟アパートの迫力に圧倒されて全然話が入ってきません・・・。

それくらいこの30号棟アパートからは伝わってくるオーラがあります。

こんなに大規模な建物を1916(大正5)年に造ったなんて・・・・・・そして平成30年の現在も残っているなんて・・・・・。

ただただ凄いの一言です。
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30号棟アパートの4階部分にズームしてみます。

白い机?のようなものがある部屋の柱をご覧ください。

鉄筋が露になっていてコンクリートが随分剥離しています。

大正、昭和、平成と3つの時代を耐え抜いた30号棟アパートですが、ここまで鉄筋が露になっていてコンクリートが剥離していたら、崩壊してしまうんじゃないかと心配になってしまいます。
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31号棟アパート

1957(昭和32)年に造られた住宅です。

軍艦島は外海にある離島なので風の強い日や台風の時は波が護岸を超えてくる高波に襲われることが多かったので海に面している住宅は窓が小さくなっています。

ガイドさん曰く、高波の時は降り注ぐ水しぶきが雨なのか海水なのかよくわからない状態だったそうです。

冷静に考えたらすごい環境のところに大勢の人が住んでいたんですね・・と思います。
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今回の軍艦島上陸クルーズに関する記事は載せたい事が多いので2回に分けてご紹介したいと思います。

明日は軍艦島を船からみた模様をご紹介します。

※ちなみに知っている人も多いと思いますが軍艦島の立ち入り禁止区域の様子がグーグルストリートビューで見る事が出来ます。
 軍艦島好きのそうでもない人でもめっちゃ楽しめると思いますので、是非一度ストリートビューで軍艦島を探索してみてください。
  グーグルストリートビュー軍艦島


軍艦島上陸クルーズ

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