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便利屋!かおまるっちのジョブ飯

~便利屋かおまるっちの日々のランチや仕事ぶりをたまにアップします~

ここほど来て良かったと思った所はない@長崎県長崎市 軍艦島上陸クルーズ 2018夏旅行その② 

 

長崎県長崎市の軍艦島に行ってきました。

9月の下旬、遅めの夏休みをとって旅行に出ています。

今回の旅行では佐賀県唐津市呼子町でおいしいイカを食べ、長崎で軍艦島に上陸して長崎ちゃんぽんを食べ、熊本でくまモンに会って熊本城の復興を見る、というコースで旅行します。

今回の旅行は各地の見所がとても多かった旅行になったので、ご紹介したい内容が多く、しばらくは九州ネタが続きますがよろしくお付き合いください。

ではさっそく本題に入ります。

前日の晩、大阪から高速道路をぶっ飛ばして翌日の早朝に呼子入りし、呼子の朝市や剣先イカの造りを堪能しました。

二日目の今日はこの旅一番楽しみにしていた「軍艦島上陸クルーズ」です。

軍艦島の正式名称は端島と言い、は1810年頃に石炭が発見されました。

当初は細々と採取していたのですが、端島の石炭は良質だという事で1890(明治23)年に三菱が島を買い取り本格的な炭鉱として操業されました。

当時の主力なエネルギーは石油ではなく石炭が中心でしたので需要は高くどんどん規模が大きくなるにつれて人口も増え狭い島に多くの人が生活するために鉄筋コンクリートの住宅がどんどん造られました。

最盛期の1960(昭和35年)年前後には0.063 km²の中に約5300人もの人が住んでいました。

その人口密度は当時の東京の約9倍、世界一の人口密度だったと言われています。

端島の石炭はとても良質だった事もあり端島で働く炭鉱夫の給料は高く、島民の生活水準は高かったそうで、テレビが高級品であってまだまだ普及していない年代でも端島の住民はこぞってテレビを購入したと言われています。

そんな金持ちの端島でも土地の狭さだけはどうすることもできなくて、ごく一部の幹部職員の住宅以外の大部分の住宅にはお風呂は設置されず大衆浴場を利用したり、子供の遊び場がないため、シーズンオフの時期の水が抜かれたプールで野球をするなどスペースに関する事についてはかなり制限が強いられた生活をしていたそうです。

隆盛を極めた端島も時代の流れには勝てず、エネルギーの中心は石炭から石油へとシフトチェンジされつつある1974(昭和49)年に閉山され無人島となりました。

閉山後も端島はずっと三菱が所有していましたが、閉山から27年経った2001(平成13)に高島町に譲渡されました。

その後市町村合併(2005年)が行われたことにより端島は長崎市が管理することとなり、その後長崎市が整備して2009(平成21)年に上陸できるようになりました。

上陸ツアーは解禁直後からも人気でしたが、2015(平成27)年に世界遺産登録となった後は人気が爆発しているそうです。

なので今回の軍艦島上陸クルーズの申し込みは実は4カ月前に申し込みをしました。

そんな大人気の軍艦島上陸クルーズですが、端島は桟橋がしっかりしておらず、波が高い時や荒天時は上陸が出来ない事になっているので悪天候になって上陸できないのだけは勘弁してください!!っと祈るような気持ちで当日を迎えましたが、晴天とまではいきませんが、晴れ間も見えるいい天気になったのでホッとした気分で長崎港ターミナルへ行き、予約受付をしてクルーズ船へと向かいます。

目の前には私と同じような気持ちで当日を迎えた軍艦島ファンが列をなしています。
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私たちも列の最後尾に並び、列が動くのを待っている間にチケットをパチリ。

軍艦島の上陸には船会社の乗船券以外に長崎市の軍艦島上陸券が必要となります。

この辺りからワクワク、ドキドキしてきました。
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船内に乗り込み船会社の船員さんから説明を受けます。

船員さんの説明によると、船は軍艦島に向かっていますが、軍艦島に着いても波が高かったら船をつける事ができないので上陸する事は出来ず、周遊する事になりますとビビらすアナウンスをしてきますが、「今日は波も低い予報やし、天気もどんどん回復傾向やから大丈夫に決まってるやん!」「なにビビらしとんねん」とか思いながらも上陸できひんかったらどうしよう・・・と思っちゃう私です。

そんな気持ちを知る由もなく船はガンガン波しぶきを上げて軍艦島へと向かいます。
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軍艦島上陸クルーズは今回乗船したやまさ海運以外に複数の海運会社があるので船を間違えないのと、島内での説明を受けるためのグループ分けをするために色分けされます。

私は黄色グループとなります。
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船員さんのビビらしにちょっとドキドキしましたが無事船はドルフィン桟橋に横付け出来上陸となりました~。

ずっと来たかった軍艦島に今、上陸です
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上陸してすぐにトンネルがあるのでトンネルをくぐりぬけるといきなり右手に遺構が目の前に入ってきます。

ブロアー機室の遺構です。

ブロアー機室は質の悪い石炭や土を取り除く施設でした。

この朽ち果てぶりを見た瞬間全身に鳥肌が立ちました。

目の前に軍艦島の遺構があるという感動で震えちゃいます((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
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高台にある建物が1959(昭和34)年に完成した幹部用の職員住宅です。

この幹部住宅のみ風呂が付いていたそうです。

カッコいいなぁ(*´ω`)
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しかし時の流れは残酷で、頑丈なRC造りの住宅も崩壊が進んでいます。
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上陸した島の南東側は石炭採掘関連施設となります。

写真中央の建ち並ぶ柱は石炭を蓄えておく貯炭場へと石炭を運ぶベルトコンベヤーの支柱です。

閉山後のしばらくはベルトコンベヤーの施設の多くが残っていたんでしょうが今は支柱が残っているだけです。
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貯炭場の奥にある大きな建物は端島小中学校です。

1958(昭和33年)に建設された7階建ての建物で1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校、6階が講堂、図書室、音楽室などとなっています。
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小中学校は先ほどの幹部住宅以上に崩壊が進んでいて、屋上が落ちていますね。
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30号棟アパート

軍艦島の見学は決められた見学通路を外れ事は出来ません。

通路には第一見学広場、第二見学広場、第三見学広場が設けてあり、それぞれの広場で施設に関する説明をしてくれます。

今回私が一番見たくてしょうがない建物がこの30号棟アパートです。

なぜこの建物が見たいかというと、建てられたのが1916(大正5)年というとても古い時代に建てられた日本最古のRC造りの高層アパートと言われているからです。

なので、軍艦島に行くにあたり、事前にこの30号棟アパートの写真を見ていたので上陸して30号棟アパートを見つけた時は「おおおお!!」と声が出てしまいました。

目的の30号棟アパートは第三見学広場で大きく見る事ができるのでもう少しの我慢です。
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第一見学広場から第二見学広場の間の選炭機のあたりには錆錆の機械だったと思われる金属片がゴロゴロしていました。

なんか萌えます。

これを見て萌える私はちょっと変態ですよね・・・。
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炭鉱関連施設が集中している第一見学広場、第二見学広場間は総合事務所などのレンガ造りの建物が多かったそうですので、この辺にはレンガの塊がゴロゴロころがっていました。
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総合事務所

重厚なレンガ造りも長年の風雨で崩壊が進んでいます。

総合事務所にはお風呂が3つあって作業を終えた炭鉱夫は全身真っ黒に汚れているため作業着のまま第一の浴槽に浸かり、汚れを作業着ごと落とします。

次の第二の浴槽でようやく作業着を脱ぎ体の汚れを落とし、最後の第三の浴槽で綺麗に仕上げるっといたお風呂になっていたそうです。

離島であるため水は大切ということですので第一・第二の浴槽は海水で第三の浴槽のみが真水だったそうです。

炭鉱の仕事の大変さがわかりますね。
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炭鉱関連施設があった島の南東側にはかつて工場や会議室、倉庫や機械室などの施設が犇いていたのですが、そのほとんどは崩壊して現在は総合事務所の一部と第二堅坑への昇降階段の一部が残っているくらいなので、これ以上の崩壊を防ぐため総合事務所のレンガ造りに補強がされていました。
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貯水槽

離島で一番大切なことが水です。

約5000人もの人々が暮らしていた島で、水を大量に確保するのは難しかったようで、昔は海水を蒸留して飲料水を作っていたそうです。

しかしそれだけでは約5000人供給が間に合わなかったようで、のちに水船と呼ばれた給水船で運ばれるようになり、こちらの貯水槽に蓄えられるようになりました。

しかしそれでも水が不足してしまうという事で、1957(昭和32)年に対岸の三和町から長さ6500mの海底送水管を引き、安定供給に至ったそうです。
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軍艦島の護岸は石炭と赤土を練り混ぜた天川と呼ばれる接着性のある練り物を石と石の間に盛って積む、石積み工法で作られています。

この天川を使った工法は海水に強く、明治時代に造られた護岸が今でも島を守ってくれているそうで、ガイドの元島民の方が軍艦島が世界遺産に登録されたのはこの護岸が今でも生きているからというのも大きな影響を及ぼしていると言ってました。

先人の知恵ってホントにスゴイですよねぇ・・・。

震えます。
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第三見学広場に近づいてきたら右手に仕上工場が見えてきました。

仕上工場の後ろには一番見たかった30号棟アパートがあるので事前にWEBで何度も見たのですぐに分かります。

仕上工場の後ろに30号棟アパート、その後ろに貯水槽と1枚の写真に3つの遺構が収まっています。
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そしてついに第三見学広場に到着!!

30号棟アパートが目の前に広がっています!!
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もっと近くに寄ってみます。

うわぁぁぁぁぁぁぁスゴイ、凄すぎる・・・・・・。

実際の30号棟アパートを目の当たりしたら想像以上の迫力があって立ち尽くしてしまいます。

ガイドさんがいろいろフリップ写真を使って説明をしてくれているようなのですが、30号棟アパートの迫力に圧倒されて全然話が入ってきません・・・。

それくらいこの30号棟アパートからは伝わってくるオーラがあります。

こんなに大規模な建物を1916(大正5)年に造ったなんて・・・・・・そして平成30年の現在も残っているなんて・・・・・。

ただただ凄いの一言です。
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30号棟アパートの4階部分にズームしてみます。

白い机?のようなものがある部屋の柱をご覧ください。

鉄筋が露になっていてコンクリートが随分剥離しています。

大正、昭和、平成と3つの時代を耐え抜いた30号棟アパートですが、ここまで鉄筋が露になっていてコンクリートが剥離していたら、崩壊してしまうんじゃないかと心配になってしまいます。
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31号棟アパート

1957(昭和32)年に造られた住宅です。

軍艦島は外海にある離島なので風の強い日や台風の時は波が護岸を超えてくる高波に襲われることが多かったので海に面している住宅は窓が小さくなっています。

ガイドさん曰く、高波の時は降り注ぐ水しぶきが雨なのか海水なのかよくわからない状態だったそうです。

冷静に考えたらすごい環境のところに大勢の人が住んでいたんですね・・と思います。
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今回の軍艦島上陸クルーズに関する記事は載せたい事が多いので2回に分けてご紹介したいと思います。

明日は軍艦島を船からみた模様をご紹介します。

※ちなみに知っている人も多いと思いますが軍艦島の立ち入り禁止区域の様子がグーグルストリートビューで見る事が出来ます。
 軍艦島好きのそうでもない人でもめっちゃ楽しめると思いますので、是非一度ストリートビューで軍艦島を探索してみてください。
  グーグルストリートビュー軍艦島


軍艦島上陸クルーズ
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