引き波の恐ろしさ@宮城県気仙沼市 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館
GWの10連休を使って、東北一周の旅をしています。
新潟から山形、秋田、青森、岩手と回って、今回は宮城県です。
前の記事でご紹介した岩手県陸前高田市の震災遺構、奇跡の一本松を見た後、もう少し震災について学びたいということで、宮城県気仙沼市まで移動して、「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」に伺いました。
こちらの施設は震災当日まで「宮城県気仙沼向洋高校」の校舎として利用されていた建物の跡に造られた震災遺構です。

伺ったのが、令和になって二日目の5月2日、令和に入ったばかりなので入り口にはデカデカと「令和」と書かれています。

平成31年3月10日(日)にオープンした施設なので、エントランスがある震災伝承館はピカピカです。
チケットを買って入館し、先ずは震災時の映像を拝見します。

前の記事でご紹介した、一本松茶屋の語り部さんによる映像投影と同じく、こちらの施設でもショッキングな映像が流れ、胸が締め付けられる想いになります。。。。
映像を見終わったあとは校舎内へ移動します。
新設された綺麗な伝承館から校舎へ移動すると、いきなりのヘビーな光景に鼓動が激しくなります。
天井が剥がれて配管が剥きだしです。

校舎のガラスや窓枠は破壊されているので、校舎内にも海からの風がビュンビュン吹きつけてきます。

教室には流木、木材、教科書、泥などの津波による被害当時のそのままの状態が見られます。。。

中には車まで津波によって校舎内に流れ込んでいます。

大津波の恐ろしさが伝わる光景です。

実はこの流された車、校舎の3階に流されているんです!!
向洋高校周辺は12mもの高さの大津波に襲われ、大津波は4階まで達したとの事です。
12mもの大津波が街を襲うなんて、、、、本当に恐ろしかったでしょうね。

別の教室には教材が散乱していました。
この場所で一生懸命学んでいた学生さんたちの生活や大切な人たちを一瞬にして奪ったと思うと、、、、辛くなります。
8年経った今、当時の学生さんたちが穏やかな生活を送れている事を願います。

4階にあるレターケース
下から7段目までが酷く錆び付いているいるのが分かります。
ここまで大津波が達したという事だそうです。
4階ですよ!4階!凄まじい恐ろしさです。

屋上に上がって周りを見渡すと、、、陸前高田同様に平地が広がっています。
向洋高校が建っているこの辺りは特に海に近いエリアなので、津波被害にあわないために今後も住宅などが整備されることは無いのでしょう。

体育館も屋根が完全にめくられてます。

校舎の壁面がえぐれています。
解説によると、冷凍工場が流されて校舎に激突したとなっています。
工場っていうくらいやから小さなものではないのは確かでしょう。
震災時には屋上に教員と生徒が約50人ほど避難していたとの事ですから、教員と生徒たちに直撃しなくてホントに良かったと思います。

体育館の角には金属の波板が巻き付いていました。。。。
この光景も津波の凄まじいいパワーを感じさせる、恐ろしい1枚だと思います。

一番驚いたのがこのパネル写真です。
戸建て住宅が引き波によって海へと流される際に校舎と生徒会館の間に挟まったそうです。

この場所にはボランティアの解説員さんがいらっしゃり、校舎と総合実験棟との間の渡り廊下に折り重なった車や船、崩壊した建物などについて説明してくれました。

表面的には車は2台しか確認できませんでしたが、解説員さん曰く、ここには11台の車が折り重なっているとの事です。
解説員さんは立て続けに、襲って来る津波も怖いけど、本当に恐ろしいのは海に戻る引き波がとてつもなく恐ろしい・・・・・と強い口調で説明してくれたのが今も脳裏に焼き付いています。

裏側に回ると、強い圧が掛かって車がひしゃけているのが良く分かります。

津波の恐ろしさ、、、、そしてそれ以上に恐ろしい引き波の恐怖を分かりやすく理解できる、貴重な震災遺構だと思います。
後世までずっと残しておき、いつか来るであろう大災害を最小限に食い止める事が出来るよう、いろんな人々がここで学んで欲しいと思いました。

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館
新潟から山形、秋田、青森、岩手と回って、今回は宮城県です。
前の記事でご紹介した岩手県陸前高田市の震災遺構、奇跡の一本松を見た後、もう少し震災について学びたいということで、宮城県気仙沼市まで移動して、「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」に伺いました。
こちらの施設は震災当日まで「宮城県気仙沼向洋高校」の校舎として利用されていた建物の跡に造られた震災遺構です。

伺ったのが、令和になって二日目の5月2日、令和に入ったばかりなので入り口にはデカデカと「令和」と書かれています。

平成31年3月10日(日)にオープンした施設なので、エントランスがある震災伝承館はピカピカです。
チケットを買って入館し、先ずは震災時の映像を拝見します。

前の記事でご紹介した、一本松茶屋の語り部さんによる映像投影と同じく、こちらの施設でもショッキングな映像が流れ、胸が締め付けられる想いになります。。。。
映像を見終わったあとは校舎内へ移動します。
新設された綺麗な伝承館から校舎へ移動すると、いきなりのヘビーな光景に鼓動が激しくなります。
天井が剥がれて配管が剥きだしです。

校舎のガラスや窓枠は破壊されているので、校舎内にも海からの風がビュンビュン吹きつけてきます。

教室には流木、木材、教科書、泥などの津波による被害当時のそのままの状態が見られます。。。

中には車まで津波によって校舎内に流れ込んでいます。

大津波の恐ろしさが伝わる光景です。

実はこの流された車、校舎の3階に流されているんです!!
向洋高校周辺は12mもの高さの大津波に襲われ、大津波は4階まで達したとの事です。
12mもの大津波が街を襲うなんて、、、、本当に恐ろしかったでしょうね。

別の教室には教材が散乱していました。
この場所で一生懸命学んでいた学生さんたちの生活や大切な人たちを一瞬にして奪ったと思うと、、、、辛くなります。
8年経った今、当時の学生さんたちが穏やかな生活を送れている事を願います。

4階にあるレターケース
下から7段目までが酷く錆び付いているいるのが分かります。
ここまで大津波が達したという事だそうです。
4階ですよ!4階!凄まじい恐ろしさです。

屋上に上がって周りを見渡すと、、、陸前高田同様に平地が広がっています。
向洋高校が建っているこの辺りは特に海に近いエリアなので、津波被害にあわないために今後も住宅などが整備されることは無いのでしょう。

体育館も屋根が完全にめくられてます。

校舎の壁面がえぐれています。
解説によると、冷凍工場が流されて校舎に激突したとなっています。
工場っていうくらいやから小さなものではないのは確かでしょう。
震災時には屋上に教員と生徒が約50人ほど避難していたとの事ですから、教員と生徒たちに直撃しなくてホントに良かったと思います。

体育館の角には金属の波板が巻き付いていました。。。。
この光景も津波の凄まじいいパワーを感じさせる、恐ろしい1枚だと思います。

一番驚いたのがこのパネル写真です。
戸建て住宅が引き波によって海へと流される際に校舎と生徒会館の間に挟まったそうです。

この場所にはボランティアの解説員さんがいらっしゃり、校舎と総合実験棟との間の渡り廊下に折り重なった車や船、崩壊した建物などについて説明してくれました。

表面的には車は2台しか確認できませんでしたが、解説員さん曰く、ここには11台の車が折り重なっているとの事です。
解説員さんは立て続けに、襲って来る津波も怖いけど、本当に恐ろしいのは海に戻る引き波がとてつもなく恐ろしい・・・・・と強い口調で説明してくれたのが今も脳裏に焼き付いています。

裏側に回ると、強い圧が掛かって車がひしゃけているのが良く分かります。

津波の恐ろしさ、、、、そしてそれ以上に恐ろしい引き波の恐怖を分かりやすく理解できる、貴重な震災遺構だと思います。
後世までずっと残しておき、いつか来るであろう大災害を最小限に食い止める事が出来るよう、いろんな人々がここで学んで欲しいと思いました。

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館
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